コントラポント第12回定期演奏会2012/02/18 14:59

昨日(17日)は関口の東京カテドラルで、「ビクトリア、ジョヴァンニ・ガブリエリ没後400年記念 勝利のミサと聖母の晩課」というのを聞いてきました。一昨日の『沈黙』の「口直し」ならぬ「耳直し」。まあいろんな意味で疲れる音楽を聞いてしまった後は、できる限り耳を中和するというか解毒するというのか、そんなことをするよう心がけています。聞きに行こうと思い立ったのはいいけど、夕べは寒かったですニャー。雪まで降り出す始末。講談社脇の大塚警察のところの坂は、特に雪が強くなった帰り道には寒さが身にしみました。

演奏は花井哲郎指揮のコントラポントアンサンブル・プリンチピ・ヴェネツィアーニ。曲目は国内の演奏会としてはかなりゴージャス。前半はトマス・ルイス・デ・ビクトリアの『勝利のミサ』の合間に、ジョヴァンニ・ガブリエリのファンタジアやカンツォンなどの器楽曲を挟み、最後に器楽付きのガブリエリの10声のモテット「神に喜び歌え」を演奏。

ビクトリアのミサはジャヌカンのマドリガル『戦争』のパロディ・ミサ。というわけで最初に器楽で『戦争』を演奏。このコントラポントっていうグループは、いつも東京カテドラルで演奏しているわけじゃないでしょう。またゲスト(?)の、コルネット3本、サックバット4本、それにドゥルツィアンが加わったアンサンブル・プリンチピ・ヴェネツィアーニというグループも関西の人たちが中心みたいで、たぶんこの教会の大空間はあまり馴染みがないんじゃないかな。立ち上がりの「聞け、ガリアの人々よ」の最初の音から、かなり不思議な音が鳴り響いてどっきりとさせられました。が、演奏者も聴き手も巨大音空間に慣れてくるに従って、徐々にですがアンサンブルも安定して(聞こえるようになって)きたみたいです。たぶん。10列目ぐらいの席に座っていたんで、直接音はまるでわからないんですが、ただ、全体の響きとして聞こえてくる間接音が次第にまとまってきたかなぁって感じがしました。

ミサ曲は最初の「キリエ」はパロディそのもの。グロリア、クレドと進むにつれて、パロディ性は薄まってきますが、対位法はより緻密に書かれているんだろうなって気がします。あくまでも気がするだけで、ホントの所はわからない。音の細かなテクスチャはまるで聞こえないわけですから。

6曲目、器楽で演奏されたガブリエリの「12旋法のカンツォン」あたりから、音程が定まってきたかなって気がします。ただし、細かなメリスマというのか、ディミニューションというのか、せっかくヴァイオリンやコルネットが名人芸を披露しているらしいんですが、巨大な音の波の中に埋没してしまって、個別具体的な音としては伝わってこない。ここらへんは指揮者以下演奏者がアンサンブルをより緻密に練らないと、この場所で演奏する意味がなくなってしまうんじゃないかな。

ガブリエリの「神に喜び歌え」は、なかなか整った演奏でした。器楽と合唱が一体となって、また時に個々のパーツに分かれて大きな空間を音で満たしてくれました。特にコーラスを支えていた4本のサックバットは、ここらあたりからパワー全開といった演奏でした。

後半はモンテヴェルディにそのままの題名の曲がありますが、「聖母マリアの晩課」。詩篇を詠うグレゴリオ聖歌と小さなアンティフォナ、ビクトリアの詩篇合唱曲、独唱曲、器楽合奏などがローテーションで演奏されました。ビクトリアの合唱曲をグレゴリオ聖歌や器楽曲、独唱曲が挟むような形で進行します。ビクトリアの曲は二重合唱になっているみたいなんですが、せっかくこの巨大空間で演奏するんだったら、合唱や器楽の配置にももっと大胆な工夫があってもよかったのになぁ。どの曲を演奏する場合にも、祭壇の下の狭い場所に全員が寄り添うような配置なんで、せっかくの複合唱の醍醐味は全くわからず仕舞い。ちょっと残念でした。

後半の曲目の中では、グレゴリオ聖歌とビクトリアの合唱を交互に歌い上げる聖母賛歌「めでたし、海の星(アヴェ・マリス・ステッラ)」がきれいでした。転覆した船を下から見上げるような丹下健三設計の巨大な三角屋根のてっぺんまで声が立ち上っていくさまがよくわかりました。こういう空間では、バロックのソリスティックな曲よりも、ルネサンスまでのポリフォニックな音楽の方が映えるんでしょうねぇ。それはそれで仕方ないのかな。というのか、それを意図してプログラムの構成を考えているのかな。

順序は逆になりますが、マリア賛歌の前に演奏されたジョヴァンニ・ピッキの8声のカンツォン19番は、ガブリエリの後を継ぐ器楽作曲家としてのピッキの作風がよくわかる曲。鍵盤曲以外のピッキの作品はたぶん初めて聞いたんじゃないかなぁ。演奏には名人芸が要求される作品のように思われました。

ガブリエリの17声の「マニフィカト」も確かに荘重ではあるんですが、細部はほとんど聞こえてこない。歌手の口の動きや、ヴァイオリンの弓の動きから細かい音がかすかに想像されますけど、本当に聞こえているのは巨大な音の塊。時に現代的なトーン・クラスターのように響く瞬間もあって、驚かされます。

ピッキの有名なオルガンのトッカータ(独奏、上尾直毅)を挟んで、最後の最後に演奏されたモンテヴェルディの倫理的宗教的森の「グロリア」は、確かにそれまでの音楽とは時代を画す音楽のはずなのに、ガブリエリと大差なく響いてしまったのもこの場所のせい? もっとソリスティクな名人芸が繰り広げられているはずなのに。隔靴掻痒。もうちょっと響きがましなホールで、もうちょっと工夫した演奏方法で、ぜひもう一度聞いてみたいものです。

先日の『沈黙』舞台とほぼ同時代の音楽ですが、ビクトリアの活躍したイスパニアでは悪名高いSpanish Inquisitionの時代。宗教改革に対する反革命、対抗改革(Counter Revolution)の嵐が吹き荒れ、教皇庁にまで異端審問所なんてものが設置された時代。日本にまでやって来たパードレたちは、カトリックの中でもイエズス会なんていう名うての「武闘派集団」に属する連中だったわけですニャー。洋の東西を問わず、キリスト教を巡って何とも血なまぐさい不条理な時代だったことか。などと連想をふくらませるわけですが、でも文化として現存するこの時代の音楽は美しい。ここが『沈黙』とは決定的に異なるところ。これは確かです。