Frobergerの宇宙 第3回 桒形亜樹子 ― 2012/02/22 16:17
昨日(21日)は大久保のホーリネス淀橋教会小原聖堂で掲題の演奏会を聞いてきました。チェンバロ弾きの桒形亜樹子がフローベルガーのシリーズを始めて3回目の演奏会。実は1回目と2回目は2008年の10月と12月に開催していて、3年ちょっと間が空いて今回の3回目です。その間はガンバの櫻井茂と組んでマレのシリーズを多分3回やっていたような気がします。このマラン・マレの演奏も聞き応えのあるものでしたが、チェンバロ独奏のフローベルガーのシリーズも、かなり凝った、中身の濃い企画です。
1回目がフローベルガーの師匠であるフレスコバルディの音楽との対比、2回目がルイ・クープランやダングルベールといった同時代のフランス人の音楽との対比といった具合に、フローベルガーを巡る関係者との類似性やコントラストを聞き比べる趣旨でしたが、今回も前半は同時代を生きたヴェックマンとの対比を意識したプログラム。
パルティータ(組曲)、トッカータ、カンツォンという三つの種類の音楽を両者から1曲ずつ演奏。ヴェックマンは残っている曲数が少ないんで、ちょっと無理やりって感がなきにしもあらず。ですが、やはりヴェックマンはドイツっぽいのかな。ちょっと堅苦しくて野暮ったい。でもパルティータなどでは、おフランス風の小粋な舞曲もきちんと書いている。両者の間で何か決定的に違うのは曲の自由度かな? 発想の自由度というのか。フローベルガーの音楽は楽譜の空白部分に多くの思いが込められていて、奏者の側から見れば行間を読み解き、よりファンタジーをふくらませることが可能な音楽であるのに対して、ヴェックマンのほうは、形式や様式のたががきちんとはめられているような気がします。
フローベルガーが曲の最後に“mement mori”と注記したメディテーションなどは、特に発想の自由度が高い曲。桒形は真っ向から挑んで、この曲の奥行きの深さをたっぷりと表現してくれたと思います。テンポとか装飾とか、表向きの表現じゃなくて、音楽が自ずと呼吸するような、自然な表現と言ったらいいでしょうか。トッカータやカンツォンもヴェックマンのものは、かなり生真面目な感じがしました。
さてこの日のプログラムの中で、桒形が本当に聞かせたかったのは後半じゃないかな、なんて想像します。題して、フローベルガー的『描写』の世界。プランシュロシェ氏だったかブランクロシェ氏だったかの「トンボー」なんて有名な曲がありますね。最後に池田屋階段落ちのような情景描写があります。トンボーで情景描写っていうのも、「なんかなぁ」って気がしないでもないですが、今回はそれ以上に個別具体的な情景描写の音楽を書いていたんだっていうお話。
ベルリン・ジングアカデミーには17〜18世紀の楽譜のコレクションがあって、第2次大戦中には疎開して戦火は免れたそうですが、戦後の混乱期に行方不明となり、1999年にキエフの図書館から241箱、26万ページを超える膨大なコレクションが発見された。この中にマッテゾンがその著作の中で言及している、フローベルガーの「特別な標記付き楽譜」というのがあったんだそうですニャー (=^^=)
ベルリン写本SA4450というものだそうで、詳細な注釈付きで2010年にベーレンライターから出版されたそうです(おお、これは是非入手しなければ!)。トッカータやジーグには自由に弾くべき部分が明記されているんだそうで、そんな話を聞くとなんかファンタジーがふくらみますニャー (=^^=)
FbWV627のパルティータの冒頭のアルマンドには、短い曲の中に26カ所番号が振られていて、詳細に物語の顛末が音楽で描写されているんだそうだ。内容は酔払って船から落ちた人間を助け上げるドタバタ劇なんですが、その注釈を読みながら音楽を聞くと、確かにそのように聞こえる。面白いですねぇ。注釈がなくても普通に聞くことができるまじめな音楽なんですが、注釈を知って聞くとなんだかちょっと得した気分にもなります。
FbWV616は元々「山道での出来事」と題されたアルマンドから始まるんですが、発見された写本には「転んだ」だか「落ちた」といった注記があるんだそうで、まあ、そう言われるとアルマンドの前半に、16分音符20個分の下降音型が書かれていて、確かにここでフローベルガー氏は転落したらしいというのがわかります。ところが驚くべきことに後半の最後から2小節目に、16分音符26個と8分音符1つの上向音型が書かれていて、桒形曰く「フローベルガー氏はどうやら助け出されたらしい」。なかなかユーモアに富んだ曲だったんですねぇ。是非ともこのベルリン写本というやつを手に入れたくなりました。
それから2006年秋、ロンドンのサザビーズで競売にかけられた、259ページに及ぶモロッコ革の贅沢な装丁本というのがあるんだそうだ。フローベルガー晩年の作品が含まれているらしい。「個人情報」ということで現在の所有者は明らかにされていない。こんなのが世に出てきたら、もっと面白いことになるんでしょうねぇ。
最後にFbWV613。最後のジーグに「マザランの悪賢さ」と注記してあるパルティータが演奏されました。淀橋教会の音響は定評あるところですが、この日使われたカッツマンのフレミッシュ・チェンバロの持つやや硬質な音色とも相まって、ディテールが本当に手に取るように聞こえてくるすばらしい響きを堪能しました。数日前の東京カテドラルの響きが何とももどかしい限りだったので、なお一層美しい響きに包まれて幸せな一時でした。こういうソロや室内楽の会場としてはオペラシティの近江楽堂よりも遙かに優れた響きだし、近江楽堂よりは広さもあるし、もっともっと使われていいホールだと思います。まあ、確かに、周囲の環境は最悪かもしれませんが。
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